ケース1
(山形出身のM・I氏。長野から山形へUターン)
ふるさとへの恩返し。新分野への取り組み、人材育成に力を発揮
大手精密機械器具メーカーから新庄市の高精密平面ガラスメーカーへ。
山形県出身。長野県の大学を卒業後、大手精密機械器具メーカーに就職。マイクロマシン等の研究開発に活躍後、58歳で退職。新庄市の企業にUターン就職を果たした。
「なぜ、山形か」とよく聞かれるが、大学からずっと県外で暮らすなか、他県の人とはタイプが違う自分を育ててくれた故郷をもう一度探ってみたいと思っていた。定年が近づき、若手の育成が中心業務になるにつれ、その延長線上に自分の果たすべき役割があるようにも感じていたちょうど子供が大学に入って家を離れ、ひと区切り付く。生まれ育った山形への恩返し、違った環境での仕事、そこにやりがいを感じて早期退職者優遇制度に応募。健康な内に第二の人生に踏み切った。
現在の就職先。決め手は夢を語る経営者の熱い思いだった。仕事の範囲を広げたい。新しい領域に取り組みたいと、目指す将来像を熱心に話してくれた。役に立てる事があれば力になりたいと思った。現在は品質・開発課の担当課長、プロジェクトの責任者としてクリーンルーム管理のレベルアップに取り組んでいる。当初は企業ルールの違いに戸惑ったが、半年が過ぎ、身をもって改善に取り組む姿に現場からの信頼も得られるようになった。推進している現場からの改善提案も少しずつ増え、手応えを感じ始めている。経営者からも「大手企業で活躍された人材に、研究開発のプロセスも学ばせていただくのは地方の中小企業にとってまたとないチャンス。若手技術者の育成にも力を発揮してもらいたい」と期待されている。
ケース2
(S・U氏の場合。静岡から山形へIターン)
ものづくりの心、ものづくりの面白さを伝えたい。
大手工作機械メーカーを退職後、継手・バルブ製造山形工場の責任者へ。
東京都出身。静岡県にある大手工作機械メーカーの取締役から子会社の社長を務め、65歳で定年退職。それまで休みなく働いた分、地域のボランティアに汗を流し、悠悠自適の暮らしを楽しんでいた。2年後、以前の取引先の経営者から声が掛かった。「月に2、3日、工場の技術指導に力を貸してほしい。ものづくりの心、ものづくりの面白さを従業員に教えてほしい。」熱意に推され引き受けた。3ヵ月後、今度は山形工場での従業員の意識改革を懇願された。自宅のある三島市からは電車を乗り継いで5時間弱。迷ったが、秋田出身の妻に後押しされ、決断した。
現在は山形工場の副社長兼執行役員として、週に4日ほど静岡県から出向いている。ものづくりに大切な、感謝と思いやりの気持ち、自らの主体性を如何に浸透させるか。現場で働く従業員の本音を聞き、信頼関係を築く事からスタートした。大手工作メーカーでも、みんなで取り組み、成果が出ればみんなで喜ぶ現場の面白さを経験していた。ものづくりの楽しさを伝え、現場の従業員と一緒に仕事を進める充実感がある。山形で仕事をすることにも違和感はない。定宿から会社まで自転車で通い、冬は車で出勤、帰りは40分ほどかけて歩いて帰る。道すがら地元の人と話をするのも楽しみになった。
山形の企業と他県で活躍する人材とのマッチングは、、互いにメリットがあり、大いにやるべきだと思う。もちろん、やりがいのある仕事、現場は自ら行動して見付けるしかないが、与えられた環境のなかでも何かしらのやりがいを見つける事ができるようになるのではないだろうか。要は主体性、自分からのやる気。そんな、ものづくりの心を若い従業員に熱心に伝える毎日だ。
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